キャンプで家族が寝静まり、焚き火をしながら考えたこと:教師いじめについて

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出典:pixabay.com

 

私は、家族全員が寝静まった後、一人でお酒を飲みながら焚き火をするのが大好きな

月一ファミリーキャンパー・教育マニアのmarcy-kです。

 

こないだキャンプにいってまいりました。

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教師が教師をいじめる・・・。

なんとも胸糞悪い事件ですが、連日ニュースで報道されてますね。 

ふと気になって、Twitterを見てしまったのが運の尽き。

 

まったりお酒を飲む焚き火の時間にこんなことを考えてしまいましたとさ。

 

 

Twitterを見ると・・・

 

校長がいじめを放置していたことが問題だ。

学校側はいじめをなぜ隠蔽するのか?

職場の仲間も見て見ぬ振りをしていたのが問題だ。

そもそも教員の選定基準に問題があるのではないだろうか?

加害者の先生たちは人として問題があるのではないだろうか?

 

みなさんいろんな問いや問題意識を持っているようですな。ただ、今挙げたような問題意識とそこで論じられることは「人間は善人である」つまり、「人はいじめなどしない」ということが前提にあるんだと思います。

 

でも、そうした仮定で行くと、いじめをするような人間は異常で不可変なサガを持っているので、害悪でしかない。だから、この世界でその存在を認めるわけにはいかないんですよね。

以前、京アニに火を放った犯人に向かって「出来損ない」と言い放った松本人志さんが象徴的だと思います。おそらく、そうした「バカは死ななきゃ治らない」的な人間観が大多数だから、日本は死刑制度が残っているわけですよね。(※凶悪犯罪に巻き込まれた被害者に寄り添った制度だと思うし、別にここで、死刑制度の是非を問うつもりは毛頭ございません。)つまり、「取り返しがつかないことした奴は死ね」と、大多数が思っているから、死刑制度は残っているわけですよね。

このまま行くと、「デザイナーズベイビー」が一般的になった時、そうした因子を持った赤ちゃんは生まれる前に「修正」されていくことでしょう。

ただ、今はまだそういう「人にあるまじき因子」「犯罪者になる因子」は特定されていないし、いろんな倫理上の問題は横たわっているし、こうした問題解決を夢想してもまだまだ現実的ではない。

 

なので私は、「そもそも人はいじめをしないのがデフォルトなのだろうか?」という問い立てから始めないと、こうした事件はこれからもどんどん起きると思っています。

 

私は人間ってどこまでも中庸で、生まれながらの善人も悪人もいない、と思っています。だからこそ教育に興味があるわけですが・・・。ま、要するに、「人間なんて置かれた状況や環境によっていくらでも変わるじゃん」と思っているわけですな。

だって、人間の歴史を見ると、いくらでも残虐な出来事は起きてますからね。日本だって、ついこないだまで、国公認で、「戦争」という形で人殺しに精を出していたわけですし。

そういうことを言うと、「いや、それは国を守るためにやむを得なかった」と言う方もいらっしゃると思いますが、ここで大事なのは、「人は切羽詰まったら理由をつけて人殺しでもなんでもやる」という事実です。

「そういう性質を確かに持っているよな」と思ってしまうのは皮肉なことに、こういう事件が起こった時に、ツイッターなどで加害者に向けられる敵意と悪意に満ちた言葉の数々です。義憤にかられた勢いなのか、なんなのか、暴力的な言葉のオンパレード。果は加害者の容姿について、いじっている人もいて、「それ普通に悪口だよね!!」という案件が多数あるわけですよ。

こうした人々を見るにつけ、人は生まれつき備えている嗜虐心や暴力性を持て余していて、暴力を解き放つべき正当な理由を見つけて嬉々として、攻撃しているだけに見えます。

 

ちなみに、心理学では割と早い段階で、暴力によって怒りの感情は昇華されるどころか、さらに激しさを増し、暴力性はエスカレートする、ということが言われているので、ワイドショーとかで遠回しに言われる「加害者ありえねえ」という言葉の数々は、みんなの怒りの感情と暴力性をじわりじわりと拡大させている気がしています。

 

 

 

いじめていた教師たちの人間性を疑って、「おかしなやつらが起こしたしょうもない事件」として処理するのではなくて、「自分と同じような普通の人が起こした事件」として捉えた方が、この問題はより自分ごとになって、このようなことが起きないようにするにはどうしたら良いのか、より建設的な議論が交わされるようになるのではないでしょうか。

 

 

加害者の先生たちってまだ、それなりに若い先生ですよね。モンスターペアレントが認知されて、教師という仕事がストレスフルであることを十分覚悟して入っているはずなんです。それなりに教師という仕事に夢を抱き、理想を抱いていた人が起こした事件だと仮定すると、今回の事件はまた違った薄気味の悪さを感じませんか?

アナキンがダース・ベイダーになってしまうのは決してドラマチックな話ではなくて、人は誰でも簡単にダークサイドを転がり落ちるのでは?という、いかにも中二病的な仮説が湧き上がってきませんか?

 

今回の事件から、「人はどういう環境、状況にいると人をいじめたくなるのか」それを

しっかりと分析・検証して、共有していった方がよっぽど意味がある気がしています。

 

「部下の教育のため」

「子どものため」

 

とかいって、「弱いものいじめ」を正当化してませんか?

あなたは本当に加害者をボロクソ言えるほど立派な人間ですか?

 

そんなことをTwitterで流れる罵詈雑言を眺めながら問いかけたくなった

marcy-kでした。

 

最後に一言。

「おい、Twitter。私の穏やかな焚き火タイムを返したまえ」

 

 

 

 

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