あなたの信じる教育は、紀元前に存在するかも

年間30冊以上教育関係の本を読んでいます。

月一ファミリーキャンパー・教育マニアのmarcy-kです。

 

 

以前もこちらの記事で

www.camp-tea.work

 

 

紹介したこちらの本

教育思想史 (有斐閣アルマ)

教育思想史 (有斐閣アルマ)

 

これかなり良本かと思われます。

良い教育ってなに?フィンランド教育、オルタナ教育、シュタイナー教育、モンテッソーリ教育?

どれがいいの??

そんなことをガッチガチに考えている方にこそ、一度読んでみてほしいです。

教育の「今」がどこから来たのか、そもそも教育ってなんなのか考えさせられます。

 

 

思想はエビデンスに勝る

一例をあげます。(P.2より)

 

たまの息抜きに夫婦で外食に行こうとした時、前もって3歳の娘に「じいじ、ばあばの家でいい子にしていてね」とお願いし、本人も承諾してくれていた。

ところが、当日になって娘がぐずり出す…

というシチュエーション。

さて、あなたの感じ方、考え方はどちらに近いですか?

 

A

この子はいったんじいじとばあばの家にいることを承諾してるのだから、それを今になって守れないというのは不当だし、意志薄弱である。私を外出させまいとして泣いているのだとすれば、なおさら、そういう筋の通らないわがままに屈するのはこの子のためにならない。外出するという自分の意思を私は押し通す必要がある。

 

B

この子が聞き分けないのは困ったものだが、いざお留守番となるとわけもわからず悲しくなってしまったのだろう。約束などと大人の理屈を持ち出してもまだ理解できる年ではない。ここは自分の予定のことよりも子どもの気持ちを考えてやることの方が大事だ。一応なだめすかしてみて、それでもダメなら家にいてやることにしよう。

 

 

ちなみにこれ、ドイツの母親はA、日本の母親はBを選ぶことがやや多いみたいです。

3歳という年齢段階では思考が欲求に大幅に左右されるというのが、発達心理学的なエビデンスなのですが、だからといって、Bが正解!という単純なものでもないですよね。だからこそ、あえて約束の意味を強調する必要がある、と考えてAのような態度を取ることもあるでしょう。

つまり、AをとるかBをとるか、拠り所はエビデンスではなく、思想なのですよね。

 

AもBも、何が子どものためであるかを自分なりに考え、自分の言動が子どもに与える影響を考えて自分をコントロールしている。自分で意識的に自分をコントロールするこのような態度は「反省的」と呼ぶことができるけど、人の親は大昔からこのように反省的に振る舞っていたわけではないらしいです。反省的な態度を良しとするのは実はかなり新しい見方の1つなのだそうです。

 

この本を読むと

子どもに何をさせておけば食いっぱぐれない人材に成長するのか?

教育熱心な親御さんたちの心配事を突き詰めると、結局この問いにぶち当たることが多いのですが、多分古代ギリシャの貴族の親の中にも、そういう発想をもっていた人はいただろうな…だからこそソフィストたちがレトリックの教師として求められて、権威を持っていたんだろうなあ…などと思えたりします。

 

楽しいですよー。

 

教育というものの変遷を俯瞰するのにもってこいのこの本。歴史的背景、社会情勢によって、教育は耳障りのいい大義名分とともに、語られます。

 

そのことを理解して、今子どもとどう関わっていきたいのか、今一度考えてみると違った世界がみえてくるかもしれません。