UNIQLOのバイトとキャンプのギャップ

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pixabay.com

 

みなさんこんばんわ。

月一キャンパー・教育マニア

ユニクロ大好きのmarcy-kです。

 

 

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UNIQLOのバイトさんって、めちゃくちゃクオリティ高いですよね。

 

カンジはいいし

仕事丁寧だし

インカム使ってやりとりして

レスポンス早いし

いかにも「仕事できる人たち」っぽい。

 

むしろなんで、バイト(準社員)で甘んじてんの??

という疑問すら浮かんでくる。

 

 

そんな中で、私は「超絶できないバイトでした」

という、超絶どうでもいい話をどうしても教育系の記事にしたいという

衝動に駆られて、とんでもないスピードでキーボードをカタカタやってます(怖!)

 

UNIQLOのバイトから学んだことは

「追い込まれれば、人はギスギスする。そして、認められようと頑張る」ということでした。

ほんと、不思議なことに・・・というかやっぱり人間って承認欲求の塊なんですよね。

お互いを追い込み合う集団の中でも、なんとか認められようとするんですよ。

これって、割と当たり前に受け入れられていることだけど、結構異常だよなあ・・・とキャンプとかしているとふと思うことがあるのですよね。

キャンプしていると、人間って承認欲求も確かに強いし、それによって突き動かされている部分が大きいけど、それに振り回されるだけじゃなくて、もっとのんびりしたい生き物なんじゃないかなあ、と思うわけです。

 

 

 

さて、それではここからは私のバイト時代の回想に入ります。

 

今から15年くらい前のユニクロって超絶ブラックでした。

ここでいう「ブラック」の定義は、「他者を追い込むことで生産性を上げようとする文化」です。(他人に追い込まれても、生産性なんて上がりませんよ。自分の生産性が上がる時って、自分で自分を追い込んだ時だと思ってます)

今どうか知らないけど。

 

 

まず、UNIQLOの内部に入ると

半端ない部活感あります。

 

店長は大学でも部活のキャプテンやってました!

みたいなゴリゴリの体育会系。

クラブとかで弾けちゃうタイプ。

意外でしょ?ユニクロってなんとなくアパレル業界のNHKっぽい感じで

勝手にクラスの学級委員とかを地味に真面目にコツコツやるタイプの人の集まりだと思っていたので、まずそこに面食らいました。

結構、元気者の集まりでした。

 

 

UNIQLOのバイトは売り場に出る前に

「販売六大用語!!!」とか言って、大きな声で復唱します。

 この時点で、私とは相容れないものを感じていたけど、やっぱりその後も全然しっくりこなかったですね。

 

お互いギスギスしてて、ミスでもしようもんなら

結構酷かったですね。

「余計なことすんなよ」

「そうやって悠々と歩かない」

「声小さい」

そんなことを先輩バイトとかに言われるんですよね。

 

で、こういうダメ出しは、私だけでなくて(私が圧倒的に多かったけど)

職場のそこかしこで見られました。

 

エリアマネージャーはゴリゴリ店長を追い込むし

追い込まれた店長は、使えないバイトにきつく当たります。

きっと、エリアマネージャーも本部から追い込みかけれているのでしょう。

 

まあ、よくある構図ですよね。 

 

今ならこの当たり前の構図に、「まあそうだよね・・・」と納得してしまう自分もいるし、なんなら、店長の気持ち猛烈に分かるし、当時も「まあ、ミスしてんだからしょうがねえよなあ・・・」という気持ちでやっていました。

 

ただね。

「店長が、ゴリゴリバイトを追い込むのは分かるけど、同じバイトのポジション同士で、カリカリしてどうすんねん」という気持ちは今でもあります。

まあ、正確にはパートさんだから、私のような短時間のバイトよりも明らかにコミットしているわけですな。「自分が職場を回してる」という自負があるんですよね。

 

で、もっと想像すると

そのゴリゴリ系のパートさんも職場を回してる!って思えるようになるまで、いろいろミスを怒られたりしてもへこたれずに頑張ってきたのでしょう。

 

だから、そういう人からすれば、ミスばかりする私のようなバイトは「まだまだ苦労が足りん!甘い!!」ということで、ガンガンディスってくれてたんだと思います。

 

これって、ありとあらゆる教育の場で見られる現象な気がしてます。

「お前OJTしただろ!何してくれてんねん!!ちゃんとやれよ!!!」という怒りですよね。

 

冷静に考えれば、「OJTしたけどその子ができなかった」っていうのが揺るぎない「結果」なので、その子を教育して、現場で使えるようにしたいなら、怒る意味はなくて、もっと場数とフィードバックがいるだけの話なんですよね。

ただ、ギリギリの人数で現場を回していると、そんな仏のようなメンタルを保てない、というのが正直なところ。人間だもの。

 

翻って現在の日常に戻ると、「それはやっちゃダメって言ったでしょ!!何でやるの!!」という子どもに対する怒りも、結構妻がいないワンオペの時に湧き上がることが多いです。

※ワンオペ育児が良いとか悪いとか、どうでもよくて、子供ってエネルギーの塊で、持ってかれる部分がでかいから、シンプルに一人じゃしんどくない?という風に思ってます。

 

はい。

ということで、当たり前すぎることではあるけど

 

  • 人を追い込む文化の中で結果を出してきた人は、人を追い込んで育てようとする。
  • 余裕がないと教育をせず、ただ追い込むだけで終わりがち。

 

という性質があるよなあ・・・。と薄ぼんやりと考えていたら、社会に出てからも、その仮説を証明するような事案がありました。

 

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こうした経験を通して、「人を追い込んでも誰も幸せにならん」という信念ができつつあるので、人を追い込む文化を自分の中からも外からも、ガンガン無くしたいと思っているわけですな。

そういう部活的なノリで、誰がどのポジションを取るか!!?みたいな競争が大好きな人はそこにとどまればいいと思うんですが、全ての人がそこに乗っからなくてもいいよね。という風に思っています。

 

ニューズピックスとかのいわゆる意識高い系のメディアとかも

教育書やら育児書とかもそこそこ人を追い込むこと書いてます。

「〇〇をアップデートせよ」「AIに負けない人材とは・・・」

 

多動力や!今に集中や!!

挑戦しないことがリスク!!

とにかく行動しろ!!

死ぬこと以外かすり傷やで!!

 

みたいなね。

もちろんそういう人もいると思うけど、大半の人は、不安を解消するために、ビクビクしながら行動しているんじゃない?しかも、その不安ってなんなのかというと「自分はいらない存在なんじゃないか?」みたいな、切なくて、悲しくて、シビアな疑問。そして、めっちゃ行動するのは結局、最後には安らぎを得たいからじゃないの?

私も一時期、行動中毒みたいになっていたけど、私の場合、それは合わなかった。

自己実現という言葉に置き換えて、人生の目的を掲げる生き方というのは、かっこいいけど、本来、人間ってもっとのんびりした生き物じゃないの? まあ、この辺の議論ってすでに哲学の世界ではとっくの昔にされているし、心理学的な見地から「要するに、(自己実現による)刺激と安らぎのバランスだよね。そしてそのバランスは個人差あるよね」というクソ面白くもない結論が出ていそうですが・・・。

 

まあ、キャンプに行って、心の底からのんびりした気分になった時、私は刺激よりも安らぎを求めている。それに気づけたのはでかかったですね。

ということで、みなさんキャンプに行ってのんびりしましょう。

 

 

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この記事を読んで、キャンプの余韻にいまだに浸っているmarcy-kがお届けしました。